I N T E R V I E W : K I M I K O I W A T A

協力:Shonan Outrigger Canoe Club 編集:Voyager’s Voice 企画・制作:Shonan Outrigger Canoe Club Corp.

湘南で子どもたち向けのアウトリガーカヌープログラムに精力を注いでいる女性オーシャンパドラーがいます。大学生時代にライフセービング競技と出会い、その後、地元の埼玉県での教職を経て湘南に移り住み、そこで初めてアウトリガーカヌーと出会う。毎年のように本場ハワイの海峡横断レースに挑戦しつつ、子どもたちに海に出る素晴らしさを伝えています。

岩田 季美子 Kimiko Iwata

1980年、埼玉県出身。日本女子体育大学出身。湘南アウトリガーカヌークラブ所属。学生時代はライフセービング競技で活躍し、その後は本場ハワイを始め国内外のアウトリガーカヌーレース出場多数。現在、葉山ニッパーズ及び江ノ島オーシャンキッズのコーチとして子どもたちの指導に力を入れている。

学生時代はライフセービングに明け暮れて
卒業後は子どもたちに自然の中で体を動かす喜びを伝えたいと考えた
そうして紆余曲折を経て移り住んだ湘南だった

──岩田さんの今に至るまでのストーリーを教えてください。

海なし県の埼玉県で育ちました。山に近い丘陵地帯に家があって、まわりは一面のお茶畑。両親ともアウトドアと無縁で、中学・高校時代はバスケットボール部で部活漬け。大学に入ってからは、海で泳ぎたいと思ってライフセービング部に入部したんです。地域のライフセービングクラブにも入って夏の海水浴場の監視活動を行います。私は神奈川県湯河原市の吉浜海水浴場の監視活動でした。夏の2ヶ月間はずっと湯河原での合宿生活で、そこから海生活にすっかりハマってしまって、今ではこんな感じです(笑)。

──大学卒業後はどこかに就職したんですか?

大手のスポーツクラブに就職したのですが、ちょっとこれは違うなと思ってすぐに辞めて、実家のある埼玉でしばらく教員をしました。ただ、学校はある程度決まったことをしていかなくてはならない、決まった型があるなかでの教育なので、それを続けていくことに疑問を感じました。

──型にはまることに違和感を感じたと。

今思えば、小さい頃から型にはめられるのがすごく苦手だったんです。自分が苦手だったことを、子どもたちに強いることはできないなって。善し悪しではなく、そうした教育は学校の先生がしっかりやってくれるだろうし、学校とは別に、なにか子どもたちが生き生きできる居場所作りができないか。そういう方向性が自分に合っていると思って、じっくり考えてみたんです。

そうしてたどりついた答えが、「スポーツ」「海」「自然」という3つのテーマです。そんな仕事ができるのは埼玉ではなくて、海の近くだよなと。そう思って湘南に移り住んだのです。それが26歳くらいのときでした。

──湘南に移り住もうとしたとき、仕事先は決まっていたんですか?

まだ仕事も決まっていないのに、まずはとにかく引っ越してきちゃったんです。埼玉にいるときに、自然のフィールドを使った子どもの運動教室を紹介する小さな記事を見つけたんです。私がやりたいのはこれだ! ここに関わりたい! と思って人のツテを頼って訪ねて行ったんです。それが「葉山ニッパーズ」です。NPO法人のプログラムの一つで野外活動教室なんですが、放課後に葉山公園に集まってビーチや里山のトレイルで季節に合わせた活動をします。

──まずは葉山ニッパーズに就職した。

いいえ就職ではありません。最初は「ここで働かせてください」って飛び込みでお願いをしました。

──それで生計を立てられたんですか?

もちろんそれだけでは厳しいので、公共施設のトレーニングルームなど、いくつかの仕事を掛け持ちしました。

真剣にスポーツに取り組んできた岩田が
まさにハマるべくしてハマったアウトリガカヌー
レース出場を原動力にして毎日”ガツガツ”取り組んだ

──そこからアウトリガーカヌーとはどう出会ったのですか?

あるとき、葉山ニッパーズのコーチ仲間に「うちのカヌークラブで漕いでみたら?」と誘われて……、それが現在も湘南アウトリガーカヌークラブで一緒にコーチをしている小林俊さんでした。

それで江の島で活動している湘南アウトリガーカヌークラブに入会したのが2007年。そこから大会にも出るようになり、その3年後にはクラブのキッズコーチになって、今に至るという流れです。

──アウトリガーカヌーを漕ぐ人は、必ずしもライフセーバー出身ではありませんよね?

違いますね。でも、海に対する基本的な知識やパドリング経験などのベースを持っているから入りやすいですね。上達も早いだろうし、ハマりやすい。私も誘われて楽しそうだなって漕ぎ出してみたらすごくおもしろくて、見事にハマってしまったという感じです。

──レース出場はどんなきっかけで?

入会した年になんだかわからないまま、ハワイのコナで行われる「クイーン・リリウオカラニ・カヌー・レース」に参加しました。いきなり海外レースです。通称「コナレース」と呼ばれる大きなカヌーレースで、世界中からパドラーが集まる、お祭りみたいな大会でした。

──プロフィールを拝見するとかなりの戦歴ですね。本場ハワイの海峡横断レースには毎年のように出場しているし、国内では奄美シーカヤックマラソンのアウトリガーカヌー部門三連覇とか。

その頃はよくレースに出てましたね。レースを目指すことがカヌーを漕ぐモチベーションの一つでした。1年間のライフサイクルの中心というか、レース出場を中心に生活を組み立てていました。

──今でもレースへのモチベーションは高いのですか?

今はそれほどでもありません。35歳になるかならないかのときに、レース出場の意味を自分に問い直した時期があったんです。これからは体力も落ちてくる年代ですし、女性としてこの先レースとどう関わっていくべきなのかと。

そんな時に「サバニ」という沖縄の古い伝統的な木造帆船に乗る機会があったんです。それから自分と海の関わり方の意識が大きく変わりました。レースで1位を取るだけがカヌーではないと、ようやく自分のなかで納得いく形に収まったのです。

──それはなぜでしょう?

たまたま入ったサバニのチームに影響を受けたのですね。そのチームはレースにも積極的に出場していたのですが考え方が少し違っていた。基本的にサバニは旅ができる舟なんですが、安全に航海を続けるためには、乗員みんなの技術やポテンシャルが高いほうがいい。スキルアップのためにはレース出場が最も効果的だと。たしかにそうだよなって。

私が参加した一番長いサバニの旅は全行程が600kmあり、そのうち島から島への距離は最長で220km。44時間時間くらい漕ぎ続けます。その間、海のなかで2回朝日を見ることになるわけです。暑さを避けるために朝と夕方に漕いで、昼間は順番に寝て体を休めながらです。寝るといっても、狭いサバニのなかで、イスとイスの間に挟まって落ちないように寝るんですけどね(笑)。そうやって長い距離を漕ぐのが好きです。

──今もアウトリガーカヌーで、湘南から伊豆大島にも漕いで行かれるんですよね?

はい。大島と新島へは毎年漕いで行っているので、何回行ったか数え切れないほどです。でも、カヌーを漕いで行ったことしかないので、観光船や飛行機などの交通機関を使った観光客のようには行ったことがないんです(笑)。アウトリガーカヌーもサバニと同じで、島から島へ何10kmという距離も漕げますし、6人で息を合わせて漕げれば、もっと遠くまで漕いでいきたいという気持ちにさせられます。

──やはり6人で漕ぐというのが格別ですか?

そうですね。6人が一体になって漕いだときの感覚がぜんぜん違うんですよね。まるで生き物みたいにカヌーが進みます。その一体感だったり、無事に漕ぎ終えたときの達成感だったり……。ひとりで漕いでも達成感は得られますが、やはり6人の仲間たちと喜びを共有できることは格別ですね。

カヌー選手を作りたいわけではなく
自然のなかで遊ぶことを子どもたちの自信につなげたい。
そんな思いで取り組むキッズプログラム。

──岩田さんが現在コーチを務めている「江ノ島オーシャンキッズ」はどんなシステムですか?

いくつかのクラスがあって、小学校1年生から3年生までのリトルクラスと、4年生から6年生までのジュニアクラス。中学生に上がると、ユースクラスとして大人の人たちとも一緒に漕ぎます。毎週土曜の午前中に各クラス2時間弱の活動です。コンディションが良いときはカヌーを漕いで、小学生でも江の島一周などぜんぜん余裕で回れちゃいます。真夏の暑いときはカヌーから海に飛び込んで泳いだり、潜ったりもします。

──子ども用のアウトリガーカヌーがあるんですか?

大人と同じ6人乗りのアウトリガーカヌーに乗ります。海に出るときは、安全を第一に考えて、できるだけ海面がフラットなときのように、慎重にコンディションを選んで漕ぐようにしています。

──どんな教え方をするのですか?

あまり細かいことは言いません。本当に1つか2つのポイントだけ伝えます。「みんなで息を合わせて漕ごう」とか「縮こまらないで大きく漕ごう」とか。それでも、だんだん体で覚えてくるので、6年生くらいまで続けているとだいぶ上手になります。大人より上手いかも? と思うような場面もあります。操作が難しい1人乗りカヌーを楽々乗りこなせるようになる子もいます。

──子どもたちの成長を見るのは楽しいでしょうね。

それは一番の楽しみで、幸せを感じる瞬間です。できなかったことを、できるようになる子どもたちは輝いています。例えばボードで波乗りをして、いい波に乗れている時の最高の笑顔が見られる瞬間や、冬の陸上トレーニングの時に、鉄棒をしてずっとできなかった逆上がりが初めてできた瞬間に立ち会えたり。この仕事をしていてよかったなって心から思います。そして、冬場は海のコンディションが厳しくなるので里山を走ったりする陸上の活動が中心となります。

──カヌーに乗りに来たのに、なんで走らなければいけないんだ! ってならないですか?

保護者の方々にも、カヌーだけの活動ではなく、通年を通して海や山、自然のフィールドで体を動かす活動をしていますと最初に説明しています。でも、走るのが苦手な子もいるので、そこはだましだましです。おもしろいのは、道路を走っているときは「もう疲れた」ってイヤイヤだった子も、山のなかに入った途端にいきなり元気になったりするんです。さっきまでの嫌がりようはなんだったのか? ってくらいパーッと走り出したりして。本能なんでしょうか、どんな子でも山のなかでは文句もほとんど出ないですね。

──キッズのレースもあるんですか?

「湘南オーシャンパドリングチャレンジ」というクラブで主催するレースがあって、そのなかにキッズレースもあります。最近は葉山のクラブ「オーシャンヴァア」でも子どもカテゴリーのレースを設けていて、子どもたちを対象としたものは主にその2つのレースがあります。

──レース志向に偏ることはありませんか?

レースを目指すのも悪くないです。子どもはみんな1番を取るのが大好きですから。レースのときは「最後まであきらめずに全力を出そう」と言うのですが、勝てばいいというものでもなく、負けた子にも「一生懸命頑張ったなら、それでいいよ」とも言います。

私はカヌーの選手を育てたいわけではなくて、自然のなかでの身のこなしの上手な人になってほしいという考えが根本にあります。レースに偏ることなく両方をバランスよくやっていきたいと日々思っています。

──なるほど。

スポーツだと、どうしても活躍する子に焦点が当たって、少し苦手意識がある子は自信を失います。でも、子どもって必ず得意不得意があるので、いろんな種目をやったほうがいいと思うんです。走るのが得意な子、縄跳びが得意な子、鉄棒が得意な子、相撲が得意な子……。カヌーだけではなく、色々な活動をする中で得意な子がそれぞれ変わるので、そのとき、その子の得意なものにフォーカスしてあげると、自信がついてぐっと伸びるときがあります。

大事なのは、その瞬間を見逃さないで、たくさん褒めるようにしています。保護者の方々にも「今日、〜ちゃんは〜をすごく頑張っていました。そのことをおうちでも褒めてあげてください」って話をしたりします。保護者の方々ともそうして日頃からできるだけコミュニケーションを取るように心がけています。

──そうした教育学的な考え方は大学で学ばれたのですか?

いえいえ、本を読んだり、教育系のネットを見たり、講演会に足を運んだりして勉強してきました。また、子どもの頃の経験も生きていると思います。私、小さい頃は運動のできない地味な子だったんです。徒競走でも後のほうだし、リレーの選手になったこともない。でも小学5年生の時の担任の先生がなぜか私を気に懸けてくれて、「あなたはできるんだから」といつも言ってくれました。

成長のタイミングが合ったこともあり、そこからいきなり足が速くなって、リレーの選手にも選ばれたんです。あの先生がいなかったら今の自分はない。スポーツを好きになれたし自信がなかった自分が変わることができた。そうした経験がベースとしてあるのだと思います。

80歳のおばあちゃんになってもカヌーを漕ぎ続けたい
そんな素敵なライフスタイルを送るには
次の世代の子どもたちにしっかり受け継ぐこと

──最初の頃に教えた子どもたちは、今何歳くらいになっています?

一番上の世代は、23、24歳くらいです。今もカヌーを続けている子もいます。中には今年からキッズのコーチを手伝ってくれている子もいます。その子は小学1年生から知っていて、最初は「海が怖い、波が怖い」って泣いていたのを、「大丈夫だからね」と手を引いて一緒に海に入ってあげていた子です。

この活動はサッカーや野球、水泳などのように試合が多くあったり、すぐに結果がわかりやすいものではないので、5年、10年と長いスパンで成長や過程を見守っていくことが大事だと感じています。

──中学・高校では部活も忙しくなるでしょうしね。

私自身、部活にガッツリ浸ってきた人間ですし、理不尽な上下関係とか、ひたすら走ることの意味や大切さも理解していますし、部活を一生懸命やる時期はやったほうがいいと思っています。それで大学生や社会人になってから「そういえば子どもの頃、海に入っていたな。あの頃は楽しかったし、もう一回やってみようかな」と思ってくれたらうれしいです。それがカヌーじゃなく、他のマリンスポーツだったとしても、普通の人よりも海の感覚がベースとしてあるというのは、その人にとって幸福なことなんじゃないかなと思います。

──岩田さんご自身のモチベーションを教えてください。

ハワイのクイーン・リリウオカラニ・カヌー・レースに出たとき、大きな麦わら帽子を被った80歳くらいのおばあちゃんが「行くわよ〜」ってカヌーに乗ったのが衝撃的で、あんな年まで漕げるんだ、あんなふうに楽しめる人生って素敵だな、私もああなりたいなって思ったんです。で、私がおばあちゃんになったとき、一緒に漕ぐ仲間だったりカヌークラブがないと続けられないじゃないですか。

ではどうしたらいいのか……と考えて、カヌーを漕ぐ喜びや楽しさを、次の世代の子どもたちにしっかり受け継ぐことだと。だから、今の自分が楽しいだけじゃダメなんだよなと。それがこの活動を続けていく大きな原動力になっています。

──岩田さんのこれまでを振り返れば、天職なのかもしれませんね。

そう言っていただけるとうれしいです。子どもたちと一緒に海に入ったり、自然の中で体を動かしたり……。そうしたなかで、ふとした瞬間に「この仕事って幸せだな」って感じたりしています。今はキッズコーチをはじめた頃に考えていた目標は、実はほとんど叶っていて、次なる大きな目標を何にしようかなと、楽しみながら考える毎日です。

協力:Shonan Outrigger Canoe Club 編集:Voyager’s Voice 企画・制作:Shonan Outrigger Canoe Club Corp.